Thursday, August 9, 2012

熊本旅行にて

我が家の猫ごるびーが亡くなって以来、四六時中いないはずの気配を探すばかり。写真を見ては悔しさがこみ上げ、もっと早くに情報を集めたり、他の病院でセカンド(サード)オピニオンを聞けたらと悔やみ続けていた。
毎日のすべての瞬間にいなくてはならない存在だった。母との会話もごるびーあってのものだった。

ごるびーがいなくなり、今まで長期に家を留守にすることなどなかったが、それが可能になった。
以前から、遊びにこないかと言われていた、熊本の本田さんに会いに母と二人で出かける事にした。

本田さんは、第二次世界大戦中、少年飛行兵として福島にあった原町飛行場に配属されていた。母の実家が側にあったため、祖父母が、休みの日など市内に出かけるそうした少年兵たちを家に招き、食事をさせてあげたり、くつろげるようにしてあげていたという。きっと自分の子供たちと同じ年頃の若い青年が日本各地からそこに集められ、戦争のために命をかけて戦うのだからせめてなにかしてあげようと思ってのことだったのではないか。本田さんはそうしたうちの一人で、それ以来の古い知り合いで、数年前に福島であった慰霊祭で母と再会して以来電話や手紙でやりとりをしていた。

熊本飛行場から車でそう遠くないお宅に3日間お邪魔させていただいた。

当時のお話を聞いた。飛行機を離陸させたが、ハッチが閉まっていなかったため、飛行しつつなんとか閉めようとしたこと。着陸しようとしたとき車輪が出てこず、滑走路を飛び出し林に突っ込み負傷したこと。頭に怪我したため、病院で手当をうけていたため、出撃の順番が後になったこと。多くの戦友が飛び立ち、帰ってこなかったこと。当時燃料も底をつき、特攻隊は片道分の燃料しかない機体で出撃し、機体もろとも玉砕しろと命じられ、仮に生き残ったにしろ戻っては来れない状態だったのに対し、アメリカの飛行機には機体を撃ち落とされてもパイロットが脱出出来るシステムがあり、(パラシュートも)そのパイロットが海に着水した後で救援のボートが来て早々に助け出し、去って行ったのを見たということ。
そして今は広い庭で家庭菜園し、毎日取れ立ての野菜を食べ、元気に過ごしている。

滞在中は本田さんに毎日車で観光地を案内していただいた。


熊本城:とても暑い日で、日向で描いたので、なるべく手数を省略。
Kumamoto castle

昼に食べた冷ぜんざい。
confection 073112

お宅からすぐ近くにあったスパの待合室にて。
at a spa 073112

旅行中に食べたもの。そして・・・
meal 080112

(すっかり親戚の家に泊まる様に過ごさせてもらい、毎日ごちそうになっていたので、家に戻った時には2キロも体重が増えてしまっていた。)

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